大学の頃書いていた言葉をふと思い返すことがあります。
目を閉じてごらんなさい。
今見ていたものをどれだけ思い出せますか?
ほら、それだけしか見えていないのです。
私の中で最も感性溢れる時間だった 大学時代。
とても粗削りな文章なんですが、ふいに今の自分に引っかかるときがあります。
「見る」という行為は漢字によって様々で、
見る 観る 視る などそれぞれ意味が違うのですが(Google先生をご参照下さい)
私が知識不足なのか、このときの見るはどれにも当てはまらなくて。(「見る」となんとなくこの字を使ってしまっていますが…)
心で見るというか、
物理的、物質的存在を見るのではなく、
そのものに対して、興味を持って見る
感情を持って見るというような。
目を通して最大限"感じる"という感覚でしょうか。
こうして見たものは自分の頭の中に心の中に
入って、そこにちゃんととどまるような気がします。
そういった意味で見るをとらえたときに
どれだけ思い出せるか?
という問いは自分に、どれだけ日々興味を持って
周りに接しているか?といった戒めも含んだ言葉なのかなと思ったりします。
小さいことだけれど、漫然とではなく、気持ちを込めて。
それが"ただ生きる"ではなく、"ちゃんと生きる"
ことにつながると信じて。
『目を閉じてごらんなさい。
今見ていたものをどれだけ思い出せますか?
ほら、それだけしか見えていないのです。 』
これは 先生の言葉なの?
心で見る。
若いのに この言葉がでるなんて すごいなと 感心。
私は 年を重ねてから 実感できるようになったよ。
どれだけ思い出せるかというより
いつまでも 記憶に残ってるのよ。
それがね かなりの幼少期でも 鮮明に‥。
たとえば 3歳ぐらいかな ひいおじいちゃんと 過ごした日々とかね。
これからの人生
本当に心に残るものが 沢山 増えるといいね。
あっ 八窪さんのね 写真 なんていっていいんだろ…
影の部分の映像が すごく素敵だわ。