大学の頃書いていた言葉をふと思い返すことがあります。


目を閉じてごらんなさい。
今見ていたものをどれだけ思い出せますか?
ほら、それだけしか見えていないのです。


私の中で最も感性溢れる時間だった 大学時代。
とても粗削りな文章なんですが、ふいに今の自分に引っかかるときがあります。



「見る」という行為は漢字によって様々で、
見る  観る 視る などそれぞれ意味が違うのですが(Google先生をご参照下さい)

私が知識不足なのか、このときの見るはどれにも当てはまらなくて。(る」となんとなくこの字を使ってしまっていますが…)



心で見るというか、

物理的、物質的存在を見るのではなく、
そのものに対して、興味を持って見る
感情を持って見るというような。
目を通して最大限"感じる"という感覚でしょうか。


こうして見たものは自分の頭の中にの中に
入って、そこにちゃんととどまるような気がします。


そういった意味で見るをとらえたときに
どれだけ思い出せるか?

という問いは自分に、どれだけ日々興味を持って
周りに接しているか?といった戒めも含んだ言葉なのかなと思ったりします。

小さいことだけれど、漫然とではなく、気持ちを込めて。

それが"ただ生きる"ではなく、"ちゃんと生きる"
ことにつながると信じて。